藤木総研・研究部
いちおうここは研究所ですので作成しました。
「怪しい研究」を発表します。
なお、研究内容を発表することは御自由ですが、
私は内容の真実性を保証しません。(基本的に嘘ですし^^;)
また、それによって被る予期せぬ恥、不利益については、
私は責任をおいかねます。



          藤木総研謹移植ソフト

 皆さんは大阪弁変換フィルターというものをご存じだろうか?
 これは田中さんがご自身のホームページで公開なさっているもので、標準日本語で書かれた
ホームページを大阪弁にしてしまうという、大変愉快なプログラムである。

 そこで、この楽しさを是非旧式のパソコンにも広めたいと考えた当研究所で、
シャープX68000シリーズに移植することを思い立った。

 そして、キャラクターコードを、ツールを使用してEUCからS-JISに変換するとともに、
プログラム本体の0x0A0という文字を0x07Fという文字に書き換えるという、
数分間にもわたる大作業の末、ついに移植に成功した  (第0.1版)。
そして、これだけで公開するのは後ろめたいので、辞書部分にちょっとだけ手を加えてある。

なお、本体プログラムの移植成功に気をよくした藤木総研では、以降秋田弁版(AKIT)
及び愛媛県御荘(みしょう)弁版( MS_HIME)も、やっつけ仕事で作成した。

X680x0版大阪弁変換プログラム(第0.12版)(xnaniwa.lzh)は、こちら
また、田中さんのソフト用の藤木総研改造版辞書(osaka2.Lzh)は、こちら
 

X68000用&Windows用プログラム(2001年4月17日追加)     田中さんのソフト用辞書( for Unix)

秋田弁版(akit.lzh)      akit.h

御荘弁版(ms_hime.lzh)    mishou.h
 
 

なお、説明と使用例はこちら(2001年4月17日追加)
 

#ダウンロードする人、いるんだろうか・・・


           赤に関する豆知識

 赤。
 この色は、情熱、怒りなど、非常に動的かつ激しい印象を与える色である。
 そして、この印象は洋の東西を問わず普遍的に見られるのだが、これには理由がある。
 実は、人間が怒りなどの激しい感情を露わにするとき、人間の交感神経が刺激され、
血流が通常よりも増加するのである。
 つまり、その血液と同じ色である赤が怒り、情熱などの象徴となっていると考えられる。
 すなわち、赤のこの象徴性は、人間の本能的直感に基づいているのである。

 また、赤は白との対比によって、女性を象徴する色でもあるが、このことは、
決して女性の方が本来的に血の気が多いからでは・・・多分・・・ない。

 また、興味深いのは、同じ赤の中でも、桃色(ピンク)、バラ色(ロゼ)は少女を、
深紅色(ルージュ)は大人の女性を象徴していることである。

 例えば、フランスのボルドー地方では、濃い赤ワイン(ヴァン・ルージュ)を飲むことを
許されたのは、男性と結婚後の女性だけだったというし、ブルゴーニュでも、
祭りの時に飲むボジョレー・ヌーボー以外の赤ワインを少女が飲むこと、及びルージュ
(深紅)色の口紅を少女が塗ることは、堅く禁じられていた。
 少女に許されたのは、白とロゼのワイン、および、薄紅色と深緑色の口紅だけだったのだ。

 このように、かつてのフランスでは、女性は結婚して初めて赤ワイン、濃い赤色の口紅などの
「ルージュ」に接することが出来たのである。
 

 ところが、急速な価値観の自由化に伴い、フランスでは結婚前に「ルージュ」にふれる
女性が急増し、社会問題となった。
 とくに、1995年、パリで8歳の少女が「ルージュ」を使用し、相手の14歳の少年と
共に補導される事件が起きて以来、フランスでは、とくに青少年の「ルージュ」を
規制すべきである、との声が高まった。

 しかし、「ルージュ」は、フランスの重要な産業であったため、ファッション業界大手の
シ@ネル、ワイン業界大手の@ルヴェ等、数多くの大企業が、規制を阻止すべく、
国会議員に対して大々的なロビー活動を行った。

 そこで、大企業と国民世論の板挟みになった政府の考えた苦肉の策が、
国内で「ルージュ」を規制する代わりに、海外に大規模な「ルージュ」の市場を
開拓することによって、両者の批判をかわす、というものである。

 諜報部の綿密な事前調査によって、標的となる国はすぐに見つかった。
 そして、徹底した洗脳活動によって、諜報部はその国を極めて短期間のうちに、
「ルージュ」の一大消費地に仕立て上げることに成功したのである。

 我が国の赤ワインブーム、シャネル等のブランド品ブームがフランス政府諜報部によって
もたらされたことを知る者は、極めて少ない。

NIFTYSERVE FCOMEDYS 第8回嘘競演、お題「ルージュ」より、転載


 

     ビル・ゲイツ氏成功の秘密

 我が国でも有名になったマイクロソフト社の会長ビル・ゲイツ氏。彼は今や全世界のコンピューター業界を牛耳る王とでもいえる存在となっている。
 しかし、彼がいかにして現在の地位を築いたのかについては、諸説紛糾している。
 ある者は、彼が模倣の天才であり、他人の作成した物を上手に自分の物として利用する術に長けているからだという。またある者は、彼の類い希なる商才のためだという。

 しかし、わたくしはそれ以上に、彼には運命的な力が働いていると考えている。
 そして、その理由は彼の名前にあると。

 彼はビル・ゲイツという名前で有名だが、実はこの名前は通称にすぎないのだ。
 彼の本名はWilliam H. (Bill) Gates III。
 そう、彼は「ウィリアム三世」なのである。

 ここまでくれば、歴史に詳しい読者の方なら、お察しがついたかもしれない。ウィリアム三世といえば、イギリスの名誉革命の後に即位した王で、その通称は「オレンジ公」なのだ。
 つまり、彼がパソコンの「革命」的な進歩の中で「王として君臨」することは、彼の名前から運命的に決定づけられていたのである。そして、「オレンジ」に対する「アップル」の衰退も・・・・
 このように、彼の成功が名前によって運命的にもたらされたとすると、彼の将来も歴史から占えるのではないか。そこで、試みに以下で彼の将来を歴史から占ってみる。
*****
 彼が天下を取った後、マイクロソフト社の最高意思決定会議は活性化する。そして、その会議の中で、低年齢層に重点を置くべきとする玩具(Toy)党と、高年齢層に重点を置くべきとするカツラ(Wig)党という2つの派閥が生まれる。ゲイツは当初は両者の代表者に共同で同社の意思決定をさせていたが、やがて両党のうち多数派が同社の意思決定をするようになる。
 ゲイツには子供がいなかったため、その死後はメリンダの妹アンがマイクロソフト社の会長として君臨する。
 アップル社が同社に吸収合併されるのも、アンが会長職にある時代のこととなる。
 ・・・・(以後略)
 


        犯罪と犯罪者の肉体的特徴に関する考察
 

 犯罪の原因は実に多岐にわたる。その中には、あるいは環境的な要因もあれば、あるいは個人的な要因もあろう。そして、そのうち個人的要因としては、主に性格という人間の精神が取り上げられるのが通常である。しかしながら、ある種の遺伝子異常をもつ人間は犯罪をおこしやすい傾向があるといったように、肉体もまた犯罪に寄与することがある。
 そして、さらに恐ろしいことに、犯罪者には一定の肉体的特徴があることが発見されている。

 この理をはじめに発見したのが、イタリアの医師ロンブローゾである。彼は犯罪者の死体において、特に頭蓋骨に着目し、犯罪の類型と頭蓋骨の形状との間には密接なかかわりがあるとする。そして、犯罪者を殺人犯等の凶暴犯、博徒などの風俗犯、詐欺犯などの嘘つきの三類型に分類したのち、以下のように述べる。

「まず、形状がもっとも特徴的なのは凶暴犯である。
 彼等の頭蓋骨は、脳内に筋肉が発達したため、不自然に外側に膨らんでいるのである。もっとも、脳内筋肉の発達は一流のスポーツ選手や軍人にも見受けられる現象であり、これだけでは犯罪者であるとは断定できない。犯罪者に特に特徴的なのは、脳内筋肉の損傷である。
 10年前に殺人を犯した犯人の脳内筋肉には、無惨に腱から断裂した古傷が見られた。一方、人質をとって強盗を働いたため警察官に射殺された犯人の脳内筋肉には、生々しい肉離れが認められたのである。この種類の犯罪者は、よく犯行後「頭の筋がきれたような気がして・・・後の事は覚えていません」と供述するが、この種の凶暴犯はまさに頭の筋が切れたために犯行に及んだのだと考えられる。

次に、風俗犯に特徴的なのは、頭蓋骨内部にできた異物である。たとえば、ダイスの賭博に明け暮れていた男の頭蓋骨には、サイコロ状の異物が発生していた。
 この異物の発生過程は明らかではないが、おそらくあこや貝が真珠を作るのと同様、なんらかの外的刺激から脳を保護するために出来たものであろう。他にもこの種の犯人の頭蓋骨からはカード状、円盤状など様々な異物が発見されている。

 さいごに、嘘つきの頭蓋骨の特徴は、前頭葉部分の内側が赤く色素沈着していることである。おそらく頭脳犯である嘘つきは、前頭葉の酷使によってたびたび脳内がうっ血するため、赤血球が破壊されて中のヘモグロビンが頭蓋骨にまで浸透するためであると考えられる。」

 この理論には当初反発もあったが、ロンブローゾの死後、その真実性が証明された。彼の高弟フェリーは、次のような手記を残している。

「ロンブローゾ先生は、自らの頭蓋骨もまた研究に使うよう言い残して亡くなられました。そこで我々は、先生の頭蓋骨も調査することにしたのです。
・・・そして先生の頭蓋骨を見たとき、我々は思わず歓声をあげました。そう、先生の頭蓋骨の内側は、前頭葉の部分がバラのような深紅に染まっていたのです。
 先生は、身をもって、御自身の理論の正しさを証明されたのです!!」

(原案・嘘屋本舗)

     「みそら」の研究
 目次

1 「みそら」の定義と起源
 
2 「みそら」の歴史

3 「みそら」の現代的意義
  〜サッポロ一番みそラーメンの歌を題材として〜

1 「みそら」の定義と起源

 我が国の音楽において「みそら」は非常に大きな影響力を持ってきた。しかし、この事実は広く知られていることとは言えないようである。
 本試論は、我が国の音楽における「みそら」の歴史を考察し、あわせて現在に及んでいる「みそら」の影響を考えるものである。

 まずはじめに、これから考察する「みそら」とはどういうものかを説明する。これは音階の「ミ・ソ・ラ」が語源であり、この3つの音によって成り立っている旋律のことである。
 おそらく、最も有名であろう「みそら」は、童謡「とおりゃんせ」の出だしであろう。試しに音階で歌ってみると良い。

「らーーーらーそーらーらそみーーー」

 また、「かごめかごめ」の「かーごのなーかのとーりーはー」の部分も、「みそら」である(各自音階で歌ってほしい)。

 他にも、「みそら」は、日本の伝統音楽の中に、数えきれないほど多数存在する。「みそら」こそが我が国の音楽の最も基本的な旋律であるといっても過言ではない。

 では、なぜ我が国で「みそら」が基本的な音階となったのか。実は、この起源は平安時代に遡るのである。
 それまで、我が国で音楽といえば、中国から渡ってきた五音音階(「ドレミソラ」の5つの音による音階)が主流であった。しかし、遣唐使の廃止によって国風文化が栄えた時代から、「ドレミソラ」のうち「ドレ」の部分が次第に使われなくなったのである。
 それはなぜか。実はこの時代、言葉には魂が宿っているという「言霊(ことだま)」の考えが発達したのである。そして、この思想は音階にも導入された。「ドレミソラ」のうち、「ドレ」は悪い音、「ミソラ」はよい音と考えられるようになったのである。

 このことは、清小納言の次のような記述にも現れている。
「音は、みそら。その響き御空にかよひて、めでたきこと限りなし。
どれは、しもべの者、いづれか知れざる物にかよへば、わろし。」
(「真暗草子(まくらのそうし)」)

2 「みそら」の歴史

 これ以降も、「みそら」は文学史、音楽史上に数多く現れる。
 まず、鎌倉時代の兼行法師が、その有名な従然草の中で「鼎をかづきたる仁和寺の法師、いたうゑひて(=ひどく酔っぱらって)みそらを歌ふ」と記述しているのが注目される。仁和寺の法師といえば、現代でいえばエリート候補の東大生、といった身分の者たちであったから、この時代「みそら」は、高級な身分の者の間で知られていたことが分かる。

 次に有名な記述は、室町時代、蜷川新右衛門の著だとされる「上様のお供は疲れるでござる」に現れる。
 上様が一休さんに「空を超えてみよ」と無理難題を吹き掛けたときに、一休さんは歌を歌ってその場を切り抜けたのだが、その歌の中に「みそら」が現れる。この歌は上記の書物の中で、音馬(ねうま)という当時の記譜法で記されているが、現代の記譜法になおすと、このような歌である。

 どこかで聞いたことがあるかも知れない旋律だが、 その旋律とは異なり、やはり一休さんが歌っていたこの歌も、「みそら」なのである。このように、この時代においても「みそら」は、もっぱら貴族階級の歌であった。

 このように「みそら」は、元来貴族階級にのみ知られていたと考えられるが、江戸時代になるとこの状況が変わる。
元禄文化の時代になると、我が国の文化の中心はむしろ庶民にうつる。そして、庶民の間で近松門左衛門をはじめとする人形浄瑠璃とともに、竹本義太夫を祖とする「義太夫節」もまた、大流行した。

 義太夫節はその御順調に発展を続けるが、化政年間に現れ、義太夫節の語り手の一人として有名だったのが、暮糸義太夫である。
 そもそも義太夫節とは、三味線に合わせて物語を弾き語るものであり(現代でいえばギターでおもしろおかしく弾き語る所ジョージ、さだまさしといったイメージであろう)、化政年間には大阪を中心に、主に神社で上演されていた。
 暮糸義太夫もその例にもれず、大阪の北野天満宮で義太夫節を演奏していた者である。義太夫節の物語には、色恋もの、勧善懲悪ものなどいくつかの分野があるが、暮糸義太夫が最も得意としていたのは、勧善懲悪ものであった。
 彼は上演にあたって、観客の中から、なんらかの過ちを犯したものに名乗りでさせ、過ちの内容をその観客から、三味線の調べに合わせて聞き出した。
 そして、その過ちが許されるべきか否かを聴衆に尋ね、「許すまじ」との反応を得ると、「みそらの怒り」と称して、過ちを犯した観客の頭から水をぶっかけたのである。これは「懺悔節」といわれ、暮糸義太夫の最高傑作とされる。
 懺悔節の詳しい譜例は残念ながら現存していないが、「祈りなさい」という言葉がこの時代大流行したこと、懺悔節が典型的な「みそら」であったとの記録は残っている。
 ここにいたって、「みそら」は庶民の間にも知られるものとなったのである。

 さらに、江戸時代末期から明治時代初期には、江戸での薩摩琵琶の流行とともに「みそら」は薩摩の国にまで知られるようになる。このことは、下級武士の出であった西郷隆盛が「朝鮮テハ未タ音楽カみそらニ非サレハ是ヲ教化シ我等カ音楽ヲ彼国ニ広ムルコソ御空ノ教ヘナリト謂ハサルヘカラサル也」と述べて征韓論を主張していることからもうかがい知ることができるのである。

 そしてまた、あの昭和の歌姫もまた、少女時代の天才的な歌唱力から、将 来は日本音楽の主役を担うようにと「みそら」から命名されたという。

以上縷々述べてきたように、平安時代から昭和にかけて、実に1000年以上もの長きにわたって、「みそら」は日本音楽の主役を務めてきたのである。

3 「みそら」の現代的意義
  〜サッポロ一番みそラーメンの歌を題材として〜

 しかし、ここまで読んで疑問を抱く方もあろう。なぜなら、現代 社会では伝統的な日本の音楽が音楽界の主流を占めているとは言え ないからである。「神が死んだのと同様、みそらも死んだ」との言葉も、音楽界ではしばしば聞かれるところである。
 だが、このように言い切ってしまうことは明白な誤りである。現 代の音楽においても、「みそら」は立派に生きている。いや、現代にいたって、さらにその勢力を強めたといえるかも知れない。

 その最高の例が、「サッポロ一番みそラーメンの歌」である。

まず最初に指摘しなければならないことは、この歌(以後、仮に 「みそラーメンの歌」)が極めて典型的な「みそら」で始まるとい うことである。出だしの部分を音階でいうと、次のようになる。
「みっそそみっそそみっそそららそ」
これは、典型的な「みそら」である。

 ただ、この曲は全曲が「みそら」で出来ているわけではない。この曲には、西洋式和声法の影響が非常に大きい部分も混じっているのである。
 では、「みそラーメンの歌」における西洋の影響と「みそら」の関係はどうなっているのだろう。「みそラーメンの歌」の構造を分析してみることにする。

 まず、仮にこの曲のうち「みそら」の部分を@、西洋音楽的な部分を*という記号であらわすとすると、この曲の構造は

@(「サッポロサッポロサッポロ一番」) 
*(間奏) 
@(「サッポロサッポロサッポロ一番」) 
*(移行部)
*(「サッポロい・ち・番」)
@(「みそラーメン」)

のようになる。
 このように、「みそラーメンの歌」は、一見、西洋音楽と「みそら」の両者が平等に混じりあった曲であるかのように見える。
 しかし、さらに検討すると、ある重大なことに気がつく。実は、この曲において、我々が親しみを覚える部分は、すべて「みそら」なのである。
 実際、ある調査によると、この曲から1フレーズを鼻歌で歌う者のうち69%が「サッポロサッポロ・・・」と、27%が「みそラーメン」と歌っているという。

 さらに、「みそラーメンの歌」には、重大な古代への回帰が見られる。「言霊」の思想である。このことは、この歌の最後の部分の歌詞と音階を比べてみれば明白である。

歌詞:「みそラーメン」
音階:「みそらーそら」

 このように、この部分では、音階自体が「みそラーメン」を連想させるものとなっているのである。しかも、音階と商品名が一致している部分は、清小納言の指摘する「よい音」と見事に一致する。
 つまり、この部分で、作曲家は音階自体に商品名という意味を持たせ、さらに「よい音」のみを用いることによって、音楽に、さらには商品にまで「よい魂を宿らせる」ことに成功しているのである。
 そして、この効果によって「サッポロ一番みそラーメン」は、我が国で最も有名なラーメンとなったのである。

 ちなみに同じ会社の「塩ラーメンの歌」はあまりポピュラーとは言えないが、これはこの曲が「みそら」の旋律を含んでいないことと無関係ではあるまい。

 このように、精緻な計画によって作曲され、さらには絶大な効果を挙げている「みそラーメンの歌」は、日本音楽の最高傑作の一つであるといっても、過言ではない。
 そして、その最大の理由こそ「みそら」なのだ。

 今現在、確かに日本の音楽から純粋な「みそら」は消え去ってしまったようにも思える。
 しかし、「みそら」は、あるいは西洋の音楽と混じり、あるいは信号機とともに、今もなおしっかりと生きている。
 そして、その神秘的な響きは、未だに我々日本人の心の奥底に強く語りかけてくるのである。

(Niftyserve FCOMEDYG 改訂版)
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